大人も自由研究

調べて書く。夏休みじゃないのに宿題してるみたい。

エリザベス女王ってどんな人? イギリス王室の歴史は?

英国の女王エリザベス2世が2022年9月8日、96歳で亡くなった。70年と7か月に及んだ在位期間は、英国の歴代君主として最長だった。女王の人生と英国王室の歴史を振り返ってみよう。

奉仕の心貫いた70年の在位

女王が亡くなった翌9日の英国タイムズ紙は、1953年の戴冠式の写真に重ねて「A LIFE IN SERVICE」(奉仕の生涯)との見出しと共に、1957年に女王が初めてテレビでクリスマススピーチをした際の次のような一節を掲げた。

 

I CANNOT LEAD YOU INTO BATTLE. I DO NOT GIVE YOU LAWS OR ADMINISUTER JUSTICE BUT I CAN DO SOMETHING ELSE: I CAN GIVE YOU MY HEART AND MY DEVOTION TO THESE OLD ISLANDS, AND TO ALL THE PEOPLES OF OUR BROTHERHOOD OF NATIONS

 

(私はあなた方を戦場で導くことはできません。私はあなた方に法律を与えたり、正義を執行したりすることもできません。ですが、私にできることは他にあります。それは、この古き良き国に生きるすべての人々に、私の心と献身を捧げることです)

 

エリザベス女王の生涯は、確かに「奉仕の生涯」と言えるものだろう。

1926年4月21日生まれ。父ヨーク公は伯父で独身の国王、エドワード8世*1の弟で、本来なら彼女に王位が回ってくることはなかっただろう。しかし、エドワード8世は2度の離婚歴のあるシンプソン夫人と結婚しようと在位わずか1年足らずで退位し、ヨーク公が次の国王ジョージ6世*2として即位したため、長女だったエリザベス王女が次の女王となることが決まった。わずか10歳のときだ。

1952年、父の病死に伴い25歳で即位。大英帝国からの没落期にあって、オセアニアやアフリカ諸国を精力的に訪問し、旧自治領・植民地の関係再構築に力を注いだ。外遊は約100か国、260回超を数える。97年にダイアナ妃が事故死した際、すぐに弔意を示さず批判を浴びると、パブを訪れる姿を見せるなど「国民に近い王室」を発信し続けた。

夫のフィリップ殿下はギリシャの王子で、39年に王女時代に訪れた海軍士官学校で一目惚れした初恋の相手。47年に結婚し、2021年に死別するまで添い遂げた。20年4月には新型コロナウイルス感染で消沈する国民を「私たちが団結し、強い意志を持ち続ければ、病を必ず克服できる」とテレビ演説で励まし、存在感を世界に示していた。22年5月の調査では、国民の8割が女王の仕事を評価していたという。女王は1977年、在位25年のシルバー・ジュビリーで、30年前に南アフリカを訪問した際の誓いをこう振り返っている。

When I was 21, I pledged my life to the service of our people and I asked for God's help to make good that vow. Although that vow was made in my salad days, when I was green in judgement, I do not regret, or retract, one word of it.

 

(21歳の時、私は国民のために生涯を捧げることを誓い、その誓いを果たすために神に助けを求めました。世間知らずの若い頃に誓ったことですが、私はその誓いの一言たりとも後悔はしていないし、撤回もしません)

近代社会の礎を築いた外来王朝

とはいえ、エリザベス女王が君主を務めたイギリスという国は、知っているようで実はよく知られていない。

名前からしてそうだ。正式にはUnited Kingdom of Great Britain and Northern Irekand(グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国)と呼ぶ。一般には「UK」「グレート・ブリテン(GB)」「ブリテン」などと呼ばれる。グレート・ブリテン島にあるイングランドウェールズスコットランドに、北アイルランドを加えて一つの国をつくっている。

現在のイギリス王室は、1066年に北フランスからイングランドに侵入し王位を奪ったフランス貴族のノルマンディ公ウィリアム1世(征服王)を始祖としている。つまり外来者によって開かれ、その後も外来の王朝によって継承されてきた。しかし、どこの国よりも早く国王専制から議院内閣制へと進化し、「君臨すれど統治せず」という先駆的な王室の姿を示した。近代の世界全体を規定する仕組みの多くの部分を作ったのに一役かっていたともいえるだろう。

エリザベス女王は在位中、幾度かの危機に見舞われながらも、その度に王室を新しい世の中に対応するよう努力を続け、「Monarchy(君主制)」という表現は「Royal Family(王室)」という呼び方に変わっていった。その姿は、時代の要請に応じて姿を変えてきたイギリス王室の伝統の延長上にあったと言えるのかもしれない。

 

 

参考資料:

毎日新聞

ビジュアル選書 イギリス王室一〇〇〇年史/石井美樹子著/新人物往来社

ふくろうの本 図説ヨーロッパの王朝/加藤雅彦著/河出書房新社

映画を通して知るイギリス王室史 歴史・文化・表象/宮北恵子・平林美都子編著/彩流社

イギリス—歴史と社会—改訂版/荻間寅男著/朝日出版社

*1:エドワード8世(1894〜1972年)

*2:ジョージ6世(1895〜1952年、在位1936〜52年) 内気で控え目でありながら吃音を克服して国民に愛された。映画『英国王のスピーチ』のモデルにもなった。