大人も自由研究

調べて書く。夏休みじゃないのに宿題してるみたい。

新聞読み比べ(2023年1月1日)

正月の新聞は、今年1年がどういう年かを読者に示す紙面だ。各紙とも元日1面には現代の世相や未来を感じさせる企画や特ダネを並べ、いつもとはちょっと違って力こぶの入った紙面となることが多い。また、社説にも1年を展望するようなテーマが選ばれる。つまり、元日の紙面を見れば、各社が今年を歴史の中でどのような年と位置付け、どういった問題に関心を持っているのかがわかるのだ。

そこで、今年の元日の紙面を見比べてみたい。

 

朝日新聞

1面アタマは「灯 わたしのよりどころ」というタイトルの連載企画の第1回で、2015年のノーベル文学賞を受賞したベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチさんのインタビューだ。一面の最後のくだりに、アレクシエービッチさんの言葉がある。「私たちが生きているのは孤独の時代。私たちの誰もが、とても孤独です。人間性を失わないための、よりどころを探さなくてはなりません」。

社説はどうか。見出しは「空爆と警報の街から 戦争を止める英知いまこそ」。爆音と警報が鳴りやまぬまま新年を迎えたウクライナの様子から書き起こし、国連がロシアの侵略戦争を止めることのできない機能不全に陥っていることを嘆き、「知力を尽くした先人たちにならい、人類の将来を見すえ、英知を結集する年としたい」と結んでいる。

 

毎日新聞

1面アタマは連載企画「平和国家はどこへ」の1回目。中国の台湾侵攻に備え、日本の自衛隊と台湾軍の間に直接やりとりできる連絡体制があるという話を取り上げている。やはりウクライナ危機によって関心の高まる台湾有事をテーマにしているが、土台には防衛費の倍増や敵基地攻撃能力の保有など、安全保障政策の大転換に対する不安が根底にあるのは明らかだ。初回の1面の末尾には「岸田文雄政権は安保関連3文書を改定し、『盾』だけでなく『矛』を持つ方向にかじを切った。『平和国家』はどこへ向かうのか。そこに危うさは無いのか。第1回は、有事の危機が叫ばれる台湾を巡る水面下の攻防を追う」と記されている。

社説は「探る'23」として「危機下の民主主義 再生へ市民の力集めたい」とした。ロシアのプーチン大統領を「核大国の独裁者」と表現しつつ、東欧や新興国などに広がる「内なる専制」や欧州でのポピュリストの台頭を指摘。日本でも議会軽視による民主主義の危機が広がっているとして、地球温暖化対策を生活者の視点で話し合う「気候市民会議」の広がりに民主主義の再生への希望を見出している。

 

【読売新聞】

1面アタマは、日韓両政府が北朝鮮のミサイルを探知・追尾するレーダー情報を即時共有する方向で検討を始めたとする特ダネ。北朝鮮は12月31日にも弾道ミサイル3発を発射しており、タイムリーな特ダネとなった。

社説は紙面の半分以上を割く長文で見出しは「平和な世界構築へ先頭に立て 防衛、外交、道義の力を高めよう」。国連創設の取り組みが第2次世界大戦がまだ収束していない段階から始まっていたことを示して、日本も平和を再構築する作業の先頭に立つべきだと促している。

 

日本経済新聞

もっとも今年の意義付けを意識していたと感じさせられたのが日本経済新聞だ。1面は企画「NEXT WORLD 分断の先に」の初回。米国と中国の対立やロシアのウクライナ侵攻を引き合いに分断の嵐が世界を覆っていると指摘した上で、試練の先の「Next World」では、イデオロギー対立を超えたフェアネス(公正さ)が世界をつなぐと示した。第2次大戦後の世界ではイデオロギーが優先され、冷戦終結後は効率を優先しすぎたという。今後は効率とフェアネスのバランスが問われるとし、台湾積体電路製造(TSMC)が米国に工場を造るようにしたことは、フェアネスに軸足を置いた経済活動の再構築の兆しだとしている。自社独自に「フェアネス指数」なる数値を算出し、各国のランキングも提示するなど力が入っている。

6、7面の特集では、世界のグローバル化は第1次大戦前年の1913年に最初のピークに達したものの、その後2度の大戦を経験した後、当時の水準まで貿易比率が回復するのに60年以上を要したことを指摘した。「自国ファースト」の広がりで分断が目につく昨今の世界を懸念する人にとっても貴重な指摘だろう。

社説も連動。世界の分断が深まっている背景には「二つの罠」があると指摘。覇権国と台頭する新興国が衝突することで戦争につながる事例が多いとする「ツキディデスの罠」と、覇権移行期の大国の指導力不在が大恐慌と大戦につながったとする「キンドルバーガーの罠」だ。一方で米中間選挙でのトランプ前大統領支持派の候補が相次ぎ落選したことや、イタリアの右派政党出身のメローニ首相が政権発足後は前首相の穏健路線を踏襲する意向を示したことなど、政治に希望も見出している。

 

産経新聞

1面は連載企画「民主主義の形」がスタート。米国の議会襲撃をめぐるエピソードを切り口に、世界で自由民主主義の国・地域が減りつつあるのに対し独裁体制の国・地域が増えていることを指摘。1面の原稿の締めくくりでは「中国やロシアといった専制主義勢力の横暴な振る舞いを前に、民主主義の価値を守り抜いていくことは以前にも増して重要になっている。日本と世界の民主主義の現状とその未来像について、1年を通して考えていく」と宣言している。

また、1面の肩には「年のはじめに」と題した榊原智論説委員長の長文コラムを掲げている。実質上の社説といっていいだろう。見出しは「『国民を守る日本』へ進もう」。岸田首相の防衛力強化方針の説明として「『日本が努力しなかったら、戦後初めて戦争を仕掛けられるかもしれない。戦争したくないから抑止力を高めようとしているんですよ』」という自説を冒頭に掲載し、「先制攻撃になるのでは」等の一部野党やメディアの議論を「バカも休み休み言ってもらいたい」と一蹴。実際に国民を保護するために残る問題はなおあるとして、「日本が国民を守れる国になるには乗り越えるべき壁がまだある」と締めくくっている。

 

東京新聞

1面は連載企画「まちかどの民主主義」の第1回。今春に統一地方選が控えていることに触れつつ、危機にある民主主義を取り戻すための身近な取り組みを紹介しようという狙いだ。初回は「協同労働」。働く人全員が出資し、一人一票の議決権を持って経営に関わる制度で、昨年10月に法律が施行されて制度化されたという。東京都国分寺市学童保育所での事例を紹介しながら説明している。

社説は「我らに『視点』を与えよ 年のはじめに考える」。米国の人気歌手、アリアナ・グランデさんの曲『pov』、すなわちポイント・オブ・ビュー「視点」という言葉を軸に、「同じ物事もどこから見るかで違って見える」と説き、「世界にある多くの異なるpovを面白がることにしましょう」と呼び掛けている。

 

以上、主要各紙を読み比べてみた。現状の課題として取り上げられているのはロシアのウクライナ侵攻に象徴される世界の分断、あるいは米国の議会襲撃などに見られる民主主義の危機といったところだろう。取り上げ方や提言の方向性に各紙の特徴が現れている。

せっかくなので、この際海外の新聞にも触れておきたい。

 

まず米国の【NewYorkTimes】。もともと日曜版ということで別冊が何冊もついているが、元日ということでかなりのページ数になっている。1面のメーン写真は元ローマ法王ベネディクト16世が2008年にヤンキースタジアムに6万人を集めた際のもの。大晦日に亡くなったためで、キリスト教国ならではの扱いということだろう。特に新年を感じさせる記事はない(ように思う)。ただ、別冊の中に2022年に撮影された報道写真を時系列で並べた特集があり、自然と1年を振り返る構成となっていた。これは日本の新聞でも使える手法だと思う。

 

一方、英国の【THE TIMES】。実は海外の新聞は近くの図書館で閲覧したのだが、どういうわけか元日の新聞がない。調べてみると毎週日曜日の新聞がなく、想像するに今年は元日が日曜日だったため、THE TIMESの日曜版はSUNDAY TIMESと名乗ることから図書館が購読していないのではないかと考えた。ちなみに2日の紙面には(2日も発行している)、中面に「From AI to Zelensky, what Times experts expect in the year ahead」と見出しを掲げた見開き紙面があり、アルファベットごとに今年話題になりそうなキーワードを取り上げていた。これも面白い企画で、日本でも使える手法だろう。

 

なお、後で知ったのだが東京・千代田区内幸町の日本プレスセンタービルでは、全国112紙の元日紙面を1階玄関ホールで展示していたそうだ。じっくり読み比べてみたら面白いかもしれない。

安倍元首相の国葬、何が問題になった?

安倍晋三元首相の国葬が2022年9月27日、東京の日本武道館で開かれた。世論は賛否に分断され、国会は衆院議院運営委員会に協議会を設置して、決定過程などを検証することにしている。この国葬、何が問題になっているのか。いくつかの論点を整理してみた。

※安倍元首相の功罪の評価については後世にゆだねるべきと思うのでここでは触れない

出典:首相官邸ホームページ(https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/actions/202209/27funeral.html


根拠法がない

安倍元首相の国葬は、元首相の狙撃(7月8日)から1週間もたたない7月14日に、岸田文雄首相が実施を表明した。だが、「国葬」を実施するのに根拠となる法令は戦後の日本にはない。国葬*1は1926(大正15)年に制定。皇族の他、国家への功労があった者に対し「特旨」(天皇のおぼしめし)によって行われるとしていた。

しかし、国葬令は戦後の1947(昭和22)年に失効。天皇の「大喪の礼」は皇室典範に規定があるものの、その他について明文化された法令はない。このため、何を根拠に国葬にするのかが問題となった。

もっとも、国葬令ができる前も、1883(明治16)年の岩倉具視の葬儀を初めとして、首相経験者らが国葬になった。また、失効後も1967(昭和42)年に吉田茂元首相の葬儀が国葬で実施されており、このときは閣議決定によって国葬の実施が決められている。

経費が高く、算出根拠もあいまい

次に問題となったのが経費だ。国葬での実施を表明した岸田首相は、経費を全額国費で賄うと説明。その費用として、当初一般献花や警備強化などの会場設営費などに約2億1000万円、会場やバスの借り上げ費用などに約3000万円で2億4940万円を予備費から支出すると、8月26日の閣議決定で決めた。

しかし野党が「総額を出せ」と求めたこともあり、政府は9月6日に費用の概算を公表。それによると、各地から警察官を派遣するための旅費や警察官が待機するための建物の借り上げ費など警備費約8億円▽滞在中の車両の手配や同時通訳の手配など外国要人の接遇費約6億円▽当日の医師や看護師の派遣が決まると救護費数十万円——の総額約16億6000万円とした。岸田首相は、「状況が少しずつ明らかになってきた」「できるだけ丁寧に見通しを示す観点から数字を示した」と説明した。

ちなみに国葬終了後、国は国葬にかかった経費を、事前の概算を約4億円下回る12億円台半ばとなる見通しだとしている。内訳は、式典の経費約2億4000万円(うち企画や演出などに1億9000万円、会場(日本武道館)の借り上げなどに約5000万円)▽警備費約4億8000万円▽接遇費約5億1000万円▽自衛隊の儀仗隊の車両借上げ費など約1000万円。果たしてこれが適切だったかどうかについても今後の検証の対象となるだろう。

国会に諮っていない

加えて、これらのことを国会にも諮らず、閣議決定だけで一方的に決めてしまったことも問題となった。前述のように前回の吉田元首相の国葬閣議決定で実施が決まり、国会の審議を経ずに決まる予備費から支出することを国葬の前日に決めている。このことに関しては翌年の衆院決算委員会で野党から「予備費は内閣の責任において支出するといっても、何らかの根拠がなくてはいけない」などとして批判を受けている。

経費については、国葬令を制定するために枢密院で審議した際にも問題となっている。そこでは、緊急の場合は予備金などから支出する場合もあるが、議会開会中であれば予算案について議会の協賛を経て勅書を発する手続きを取る、ということが確認されている。基本的には議会の協賛が必要だと考えられていたのだ。

 

これらの論点について、さまざまな立場や意見があり、世論は分断されたままとなっている。岸田首相が民主主義を守り抜くことを国葬大義の一つとするならば、踏みうる限りの手順を踏み、国民の合意を得ながら国葬を実施するべきだったのではないかという気がする。本当に岸田首相の言う目的にかなった国葬だったのか、今後の検証の中で改めて問われることになる。

 

参考資料

毎日新聞

NHKホームページ

宮間純一「国葬を考える」(『Journalism』2022年9月号)

 

*1:本文はわずか5条。「第一條 大喪儀ハ國葬トス/第二條 皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃及攝政タル親王内親王王女王ノ葬儀ハ國葬トス但シ皇太子皇太孫七歳未滿ノ殤ナルトキハ此ノ限ニ在ラス/第三條 國家ニ偉勳アル者薨去又ハ死亡シタルトキハ特旨ニ依リ國葬ヲ賜フコトアルヘシ/項ノ特旨ハ勅書ヲ以テシ内閣總理大臣之ヲ公告ス/第四條 皇族ニ非サル者國葬ノ場合ニ於テハ喪儀ヲ行フ當日廢朝シ國民喪ヲ服ス/第五條 皇族ニ非サル者國葬ノ場合ニ於テハ喪儀ノ式ハ内閣總理大臣勅裁ヲ經テ之ヲ定ム」

エリザベス女王ってどんな人? イギリス王室の歴史は?

英国の女王エリザベス2世が2022年9月8日、96歳で亡くなった。70年と7か月に及んだ在位期間は、英国の歴代君主として最長だった。女王の人生と英国王室の歴史を振り返ってみよう。

奉仕の心貫いた70年の在位

女王が亡くなった翌9日の英国タイムズ紙は、1953年の戴冠式の写真に重ねて「A LIFE IN SERVICE」(奉仕の生涯)との見出しと共に、1957年に女王が初めてテレビでクリスマススピーチをした際の次のような一節を掲げた。

 

I CANNOT LEAD YOU INTO BATTLE. I DO NOT GIVE YOU LAWS OR ADMINISUTER JUSTICE BUT I CAN DO SOMETHING ELSE: I CAN GIVE YOU MY HEART AND MY DEVOTION TO THESE OLD ISLANDS, AND TO ALL THE PEOPLES OF OUR BROTHERHOOD OF NATIONS

 

(私はあなた方を戦場で導くことはできません。私はあなた方に法律を与えたり、正義を執行したりすることもできません。ですが、私にできることは他にあります。それは、この古き良き国に生きるすべての人々に、私の心と献身を捧げることです)

 

エリザベス女王の生涯は、確かに「奉仕の生涯」と言えるものだろう。

1926年4月21日生まれ。父ヨーク公は伯父で独身の国王、エドワード8世*1の弟で、本来なら彼女に王位が回ってくることはなかっただろう。しかし、エドワード8世は2度の離婚歴のあるシンプソン夫人と結婚しようと在位わずか1年足らずで退位し、ヨーク公が次の国王ジョージ6世*2として即位したため、長女だったエリザベス王女が次の女王となることが決まった。わずか10歳のときだ。

1952年、父の病死に伴い25歳で即位。大英帝国からの没落期にあって、オセアニアやアフリカ諸国を精力的に訪問し、旧自治領・植民地の関係再構築に力を注いだ。外遊は約100か国、260回超を数える。97年にダイアナ妃が事故死した際、すぐに弔意を示さず批判を浴びると、パブを訪れる姿を見せるなど「国民に近い王室」を発信し続けた。

夫のフィリップ殿下はギリシャの王子で、39年に王女時代に訪れた海軍士官学校で一目惚れした初恋の相手。47年に結婚し、2021年に死別するまで添い遂げた。20年4月には新型コロナウイルス感染で消沈する国民を「私たちが団結し、強い意志を持ち続ければ、病を必ず克服できる」とテレビ演説で励まし、存在感を世界に示していた。22年5月の調査では、国民の8割が女王の仕事を評価していたという。女王は1977年、在位25年のシルバー・ジュビリーで、30年前に南アフリカを訪問した際の誓いをこう振り返っている。

When I was 21, I pledged my life to the service of our people and I asked for God's help to make good that vow. Although that vow was made in my salad days, when I was green in judgement, I do not regret, or retract, one word of it.

 

(21歳の時、私は国民のために生涯を捧げることを誓い、その誓いを果たすために神に助けを求めました。世間知らずの若い頃に誓ったことですが、私はその誓いの一言たりとも後悔はしていないし、撤回もしません)

近代社会の礎を築いた外来王朝

とはいえ、エリザベス女王が君主を務めたイギリスという国は、知っているようで実はよく知られていない。

名前からしてそうだ。正式にはUnited Kingdom of Great Britain and Northern Irekand(グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国)と呼ぶ。一般には「UK」「グレート・ブリテン(GB)」「ブリテン」などと呼ばれる。グレート・ブリテン島にあるイングランドウェールズスコットランドに、北アイルランドを加えて一つの国をつくっている。

現在のイギリス王室は、1066年に北フランスからイングランドに侵入し王位を奪ったフランス貴族のノルマンディ公ウィリアム1世(征服王)を始祖としている。つまり外来者によって開かれ、その後も外来の王朝によって継承されてきた。しかし、どこの国よりも早く国王専制から議院内閣制へと進化し、「君臨すれど統治せず」という先駆的な王室の姿を示した。近代の世界全体を規定する仕組みの多くの部分を作ったのに一役かっていたともいえるだろう。

エリザベス女王は在位中、幾度かの危機に見舞われながらも、その度に王室を新しい世の中に対応するよう努力を続け、「Monarchy(君主制)」という表現は「Royal Family(王室)」という呼び方に変わっていった。その姿は、時代の要請に応じて姿を変えてきたイギリス王室の伝統の延長上にあったと言えるのかもしれない。

 

 

参考資料:

毎日新聞

ビジュアル選書 イギリス王室一〇〇〇年史/石井美樹子著/新人物往来社

ふくろうの本 図説ヨーロッパの王朝/加藤雅彦著/河出書房新社

映画を通して知るイギリス王室史 歴史・文化・表象/宮北恵子・平林美都子編著/彩流社

イギリス—歴史と社会—改訂版/荻間寅男著/朝日出版社

*1:エドワード8世(1894〜1972年)

*2:ジョージ6世(1895〜1952年、在位1936〜52年) 内気で控え目でありながら吃音を克服して国民に愛された。映画『英国王のスピーチ』のモデルにもなった。

右からか左からか? 縦か横か? 選挙ポスター掲示板の区画順

前から不思議に思っていた。

選挙のポスター掲示板、地域によって表示順が違うのだ。

なぜなんだろう。

世の中は今参院選の真っ最中。週末の投票日を迎える前に、少し調べてみてわかったことを記してみる。

こちら、千葉県内のポスター掲示板。

そしてこちら、東京都のポスター掲示板。

千葉は、左側から縦並び。東京は右側から横並びだ。同じ国政選挙で、どうしてこんなことが起きるんだろう。

規程で定められていた

調べてみると、ポスター掲示板の区画の番号は、各都道府県の規程で定められていた。全国知事会のホームページに、「都道府県例規集」というリンク集がある。ここで一つ一つ調べてみた。「◯◯県選挙等執行規程」「公職選挙法等施行規程」「選挙運動実施規則」など名前はさまざまだが、ポスター掲示場についての規程があり、「右上段から右下段への順に、順次左へ」「左端の上段を1、下段を2とし、以下右端の方向へ」などと記されていたり、様式が図示されていたりするのだ。結果を地図にまとめてみた。

赤は右側が「1」の都道府県、青は左側が「1」の県だ。こうして見ると、青が圧倒的に少ないことや東日本に集中していることがわかる。

明記されていない場合も

ちなみに、並びの縦横については、明記しているところもあれば、明記していないところもあった。もっとも、明記していた所はすべて縦で、横を明記していたところはない。

写真から横であることが判明している東京も、「東京都選挙執行規程」には様式が図示されているが、「1」の区画が右か左か、順番が縦か横かいずれも記されてはいない。タイトルなどを記す「表示欄」が右端に書かれていることから、地図では「右側が1」に分類した。

島根県も「選挙運動等実施規程」には「市町村の区域ごとに区画の上から下へ」としか記されていない。これは、ポスター掲示板を設置している様子を報道したニュースの写真から、「左側が1」と判断した。

変わっているのは福岡県だ。「公職選挙法及び同法施行令等の規定による選挙運動及び政党その他の政治団体の政治活動に関する規程」にはなんと「表題を右に設けた場合には、区画の右上段から左下段の順に順次左へ」「表題を左側に設けた場合には、区画の左上段から、左下段の順に順次右へ」と記されている。要は「両方アリ」なのだ。島根県同様ニュース画像などで確認すると、少なくとも今回は右側が1となっているが、どちらも認めるとあえて明記されているのは記述がないのとは意味が違うので、地図ではどちらでもないグレーに塗った。

同じ都道府県内でも市区町村ごとに違う

実は東京都を調べる際に、都内の区市町村についても少し調べた。というのも、横に区画番号が増えていく掲示板を見た経験が他になく、そのうえ都の規程では縦横について明記されていなかったため、「あるいは区市町村に任されているのかも」とふと疑問が浮かんだからだ。実際、写真を撮った港区は「港区選挙執行規程」で右から横に並べることを明記していた。

ところが、他の都内区市町村を調べて驚いた。これも東京都立図書館のホームページに「東京都内区市町村の例規集」というリンク集があるので役に立つ。調べると、区市町村によって縦もあれば横もあった。さらに、いくつかの投票区に分割し、投票区ごとに並び方が変わる(公平性を求めてのことだろうか)ケースや、選挙のたびにくじで並び順を決めるケース(杉並区)もあった。区の規程では縦に並ぶはずの墨田区参院選掲示板は横に並んでいたため参院選などの国政選挙は都道府県単位で統一されているのだろう。他の道府県も、当然市町村によってばらばらであることが予想される。

理由の解明は持ち越し

ただ、残念ながらどうしてこのように自治体によって区画の並べ方がばらばらなのかという理由についてはわからなかった。仮説として、縦書きの順番通りにならぶ「右端が1で縦」が最も古く、当時は横書きで右から書いたため「右端が1で横」が派生し、時代が下るにつれて左から書く横書きが普及し一般化したため、「左端が1で縦」のパターンが生まれた——という案を提示しておく。これが正しいのか、全く別なのか。引き続き機会があれば調べてみたい。